【心身養生を考える からだメンタルラボblog】

身体と心へのアプローチを実践しているからだメンタルラボの活動情報や、鹿児島市での活動を地域支援活動を行うこだちの活動情報、身体と心のつながりについてのお話などを掲載しています。

トラウマセラピーの意味について考える1~自身の体験から~

夏の講演会以降、

オンライントラウマセラピーの新規お申し込みを多数いただいております。

たくさんの人に興味を持っていただけて、とてもうれしく思います!

 

トラウマというものの認識については、受けられる方によって様々だなぁという印象があります。

そこで今回は、私自身がかつて受けたトラウマ処理の体験も振り返りつつ、からだメンタルラボで現在行っているトラウマセラピーでのトラウマの理解と、その対応を改めてまとめてみようと思います。

 

今回はその第一弾ということで、まずは私自身のトラウマ処理の体験から。

目次

 

はじめに

以前の記事では、

www.karadamental-brog.com


支援職を志す人の中には、

自分自身に生きづらさやしんどさを抱えていたからその仕事に関心を持った人もいる、という話をしました。

私も例に漏れず、学生時代からなんとなく不安な感じや、落ち着けない感覚を持っていて、自然と心理学の道を志したように思います。


心理について学んでいく中で、漠然とした辛さやしんどさの正体がトラウマによるフラッシュバックや、胎児期の愛着障害などであったことが分かりました。

鹿児島の神田橋先生の治療などによって改善し、生活の中で不安を感じたとしても脅威を感じるようなことはなくなっていきました。

その流れを少し振り返ってみたいと思います。

 

学生時代

フラッシュバックや愛着障害を抱えての学生生活は、

それなりに青春といえるような充実した部分もありましたが、どこかしっくりこない感覚もありました。

周りの友人などを見ていると、誰しもがある程度人生の中で悩みを抱えているけれど、

自分のように引きずらないで過ごせている人もいるし、自分より切り替えがスムーズな人もいて、

「自分と何が違うんだろう?」と疑問に思うこともありました。

 

大学は心理学部だったので、進路として心理士を目指して院に進むか、就職を考えるかとなった際に、小学校の特別支援学級でのボランティアで関わった発達障害の子どもたちを思い浮かべ、「あの子たちが、より良く力を発揮できるようにならないだろうか?」という想いから大学院進学を決めました。

 

ただ、その背景には「自分自身もよりラクに力を発揮できるようにならないだろうか?」という考えもあったように思います。

この気持ちが、現在の身体アプローチへの関心へと繋がっていることは確かだと感じています。

もしこの時点で自分の抱えるトラウマや愛着障害が治っていたら、また道は違ったのかなとも考えることがあります。

 

そんなこんなで進学をしたわけですが、

カウンセリングを中心とした心理学について学んでいく中で困ったことがありました。

カウンセリング演習などで自分の内面や不安なことについて話をすると、たしかに話したその場では少しスッキリした気になるのですが、時間が経つとまた悪い面が気になり、モヤモヤした感覚がどんどん増す、という悪循環に陥りました。


この現象の背景にはトラウマや愛着障害という言語化できない課題をまだ私が抱えていたことや、躁うつ型の体質により内省型のカウンセリングが合わなかったことが影響していたように思います。


しかし当時はそんなモヤモヤをどうにかする術もなく、不安定な感じを抱えたまま社会人になりました。

心理職として仕事を得て働きはしましたが、やはりなんとなく生きづらい感覚はそのままで、職場の同僚などに対しても、「何か迷惑をかけているかも」「ちゃんと出来ていないかも」といった不安を抱えていました。

 

トラウマ処理のきっかけ

働いて2年ほどした頃に最初の転機がありました。

大学院生の頃からヨガを教わっていた母校の先生から、「フラワーエッセンスレメディ」の体験をさせてもらったことでした。

3種類ほどのエッセンスを混ぜたレメディをしばらく使用したのですが、その頃からなんとなくあった新しい行動を起こすことに対しての抵抗感がなくなりました。

 

その抵抗感が無くなったことで、以前から関心があったけれど向かう勇気がなかった、精神科医神田橋條治先生の病院を受診をしてみようと決め、鹿児島に行くことができました。


到着してから受診までの待ち時間、「そんな些細なことで受診するな」と先生に怒られるのでは…という有り得ない不安で緊張していたことを思い出します笑

診察室に入り、神田橋先生と少し話したところで「フラッシュバックがあるね」と言われ、全人生の気功のやり方を教わり、十全大補湯と桂枝加芍薬湯の処方を受けました。

(いわゆる神田橋処方では四物湯と桂枝加芍薬湯ですが、更に弱っている人向けでは十全大補湯になるそうです。詳しく知りたい方は治療のこころ巻二十一をご参照ください。)


治療のこころ〈第21巻〉問いに答える9

 

つまり神田橋先生から見ると、私は相当弱っていた状態だったようです笑

漢方を飲み始めて数日経った頃にふと気がつくと、それまでは毎日のようにあった「過去の失敗や嫌だったことが生活していると思い出す」ということがなくなりました。

「あぁ、フラッシュバックってこういうものだったのか」と実体験としてのフラッシュバックの理解が進みました。

 

フラッシュバックが無くなってから考えてみると、このような小さなフラッシュバックというのは、日常落ち着いているときにもふっと出てきて、自分のエネルギーを奪っていたことがよく分かりました。


毎日小さなフラッシュバックに襲われていると、何か新しいことに挑戦するために動くエネルギーなど出るはずがありません。

この小さなフラッシュバックに手を付けず、そのままにしていると、毎日フラッシュバックしているのに慣れて、それが当たり前になってしまいます。


私が「みんな辛い経験があるはずなのに、あんまり引きずっていないのはなぜ?」という、学生時代に友人に抱いていた疑問の答えはこれだったのではないかと気づきました。

 

こうしてトラウマの処理というものに関心を持ったのがだいたい7年ほど前。

でも、実践としてトラウマ処理をやれるようになるまでは、そこから5年以上かかっています。

このあとの話はまた次回お話したいと思います。

 

 

最後に

この体験は、私の中でのトラウマ理解の基本を形作った大きな体験の一つです。

また体験や考えをまとめてお話する予定ですが、ここまで読んでくださった皆さんに、一点注意しておいてほしいことがあります。

 

生きていれば人間、誰しもが嫌な出来事や辛い出来事も経験します。

そして、それを思い出してちょっと嫌な気分になる記憶が全く無いという人はいません。

私は、「嫌なことを思い出すのは0にしないと」と過剰にトラウマを気にする必要はないと思っています。

生活する中で、なんとなくしんどい気持ちが続いているときに、その背景にトラウマやフラッシュバックがあるのなら、その処理をすることでラクになれる可能性が上がる、というのが現実的なところだと思います。


私のように、自分自身のしんどさや課題への興味から「大学院に進学してみよう」と決心したように、生きづらさを抱えていたからこそ出会えたことや実を結んだものも必ずあります。

全てのトラウマをなくさないといけない、と焦る必要はないと私は考えています。

 


私の体験談に興味を持ってくださった方、日常の中で生じている小さなフラッシュバックに思い当たる方、トラウマ処理を体験してみたいという方はぜひ、以下のお申込みフォームからお問い合わせください。

karadamental.com